続くものと、知らないうちに消えているもの

新しいスマホを買った。

 

SIMカードとSDカードを移し替えさえすれば今までと同じように使える。

この時に、新しいスマホ=機械はSIMカードとSDカードの乗り物でしかない。

 

数年使って手に馴染んで傷がついた古いスマホは抜け殻のようになる。

毎日毎日ポケットで一緒に外出し、夜になれば充電器にさしていた。

そんな自分の一部だったスマホが今はもう、愛想をつかした恋人みたいに抜け殻になっている。

 

SIMカードとSDカードが挿入された新しいスマホは今までの自分の記憶たち―写真、動画、連絡先…―を載せて、今僕の手の中にある。

いや、この記憶=記録たちは「僕のもの」なのではなくて、むしろこの「記録=記憶たち」こそが僕なのではないだろうか。

高校の頃の下手くそなバンド演奏を撮った動画。当時はガラケーだったため画質は悪いし音割れもひどい。

様々な旅行の写真。そのときに思ったこと、ほとんど覚えている。

いや、僕が覚えているのではなくて、SDカードが覚えていて、僕に思い出させる。

だから、これが消えてしまえば僕は思い出すことができない。

SDカードこそが同一体としての僕だ。

 

ところで、ほとんどの記憶=記録たちは新しいスマホに引き継がれるのだが、

ファイル形式が違うとか何やらで新しいほうに反映させないものがある。

でも、それが何だったのか分からない。

スマホは乗り物だけど、ちょっとクセがあって、乗せるやつと乗せないやつを区別する。

僕の知らないところで。

そのとき、記録=記憶たち=僕は少しだけ削られて小さくなっていく。

でも、新しいスマホでまた新しいものがそこに付け加えられるだろう。

 

続くものと、知らないうちに消えているもの。

続いていく僕と、知らないうちに消えている僕はなに?