愛の浮遊者の戯言
愛とは何だ。
もし気にかける、その人を思うということが愛なのだろうか
そんなような気もする。
しかし、どうしても気になってしなう、どうしても頭から離れないということが愛なのだろうか。
するとどうだろう
気になってしまうということがネガティブな意味でもそうであるならば
それは愛なのだろうか。
気になってしまう、もっと正確に言えば気にしなくてはいけない
気にしなくてはいけないと思っている。頭の片隅の腫物のような足かせ。
一種の義務であるし一種の倫理でもあるならばそれはどうだろうか。
「付き合っている」という脆くに見えながらも社会的に強固なつながりのなかで
「気にする」という行為は「本質的」ではありえない。
このような社会的な関係の中で「あなたは気にしなくてはいけない。あなたは気にしていますか。」
と常に問われるからだ。
そのときに「気にする」ということも一つの義務である。
それでも人はその人を愛しているといえるのだろうか。
「愛している」というときに
やはり人は本質的なものを求めてしまう。
「付き合う」前はもっと「本質的」だったのかもしれない。
しかし「本質」なんてものはあるのだろうか。
どうだろう。
でも、やはり誰かを思う気持ちというのはあって
それに「社会的」なんて煩わしい言葉をつけたくないのかもしれない。
わからない。
それでも「本質」を信じる、信じたい自分がいて
「社会的」なものを否定したい自分がいる。
愛の浮遊者の戯言。