旅をすること

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なぜ人は旅をするのか。

インターネットが常に手元にあり、検索をかければどこの地域のことだって「知る」ことができる。

旅は疲れる。

おまけにお金もかかる。

それなのになぜ人は旅を続けるのか。

 

この2か月のほどはクロアチアスロヴェニア、スペイン、モロッコと旅に出ていた。

その中で感じたこと。

(少なくとも自分は)なぜ旅に出るのか。

 

一番の理由はそこに暮らす人びとの営為によって自己の変革をもたらすことだろうと思う。

 

クロアチアスロヴェニアは綺麗な景色を見れたし楽しかったのだけど何かが物足りなかった。

ところがモロッコに入った瞬間に瑞々しく旅の実感が満ちてきた。

 

言うならばそれはレジャーと旅の違いなのかもしれない。

レジャーの場所には象徴されるのものがある。

ビーチ、プール、スパ、クラブそしてカジノ…。

つまり「自分」が楽しむものばかりなのだ。

ここでの「自分」とは日常の「自分」と同じで、ただ休暇として場所を変えているだけだ。

変化することのない「自分」が主体的に楽しむ場としてレジャーはある。

 

一方で、旅は異なる。

旅には自己の変化が伴う。

それをもたらすのは視界を隅から隅まで満たす絶景でもあったりするのだけど、一番はそこに暮らす人びとの営為だ。

見たこともないような服を着て歩いている人、路上の匂い、クラクションやスピーカーから流れる説法の騒音…

今までの「自分」ではいられないような、頭をぶん殴られるような場所の力に圧倒される。

そして僕は狼狽する。疲労する。

しかし旅はただ自分を壊すだけではない。

崩れかけた自己を引きずりながらその路上を歩き、ようやくたどり着いた道に面するカフェに腰を下ろし街の風景に自己を曝す。

すると街は自己に介入して居場所を作る。自己は脱構築を終えて変革する。

その変革した自己を抱えて街から帰る。だから帰っても旅は続く。

 

そんな旅はやはり辛いし疲れる。でも絶対に行って良かったと思う。

これをいいと思うかは人それぞれだけど僕はそんな旅を続けたい。

 

さて、次はどこへ行こうか。