湖畔の家

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山を下り、凍り付いた大きな湖のもとに出た。

自動車もほとんど通らない道をトレッキングシューズで歩く。

葉を落とした木々に囲まれて、一軒の小さなログハウスが湖を臨んでいる。

その軒下にはバスタブやバーベキューセットなどがあって休暇を過ごす家族の姿が想像される。

愛する家族と過ごす幸せな時間。

 

しかし家を持ってしまえば時々管理のために訪れなけばならない。

雪で傷んだ屋根の修理などもしなければならないだろう。

何かを所有するということは、それをケアし続けなければならないことも意味する。

ケアをし続けるためには自分の行動も制限される。

例えば思いつくままに遠くへ移住することもできなくなる。

面倒だからむしろ所有をやめ「借りる」ことで僕らはノマドになれる。

そっちのほうが効率的じゃないかと思ったりもする。

 

でも、何か特定のものやことを愛するっていうこと、例えば家族との「その」ログハウスで過ごす時間を愛するということは、そういう面倒なこともひっくるめて所有するということなんだろうなと思う。

 

例えば猫を飼うとする。

猫はかわいい。猫に囲まれての生活は愛すべきものだ。

しかし、猫を置き去りにして一か月旅行などはできない。

猫を飼うということで自分の身動きは制限される。

だから猫カフェとかでその時間を「借りる」人もいる。

でも、「その」猫を愛するのであれば、やはり家で飼わなければならない。

家で飼うことで長い旅行はいけなくなる。でもいい。愛しているからだ。

 

こうやって所有することと愛することはつながっている。

そして僕たちはノマドをやめなければならないときがくる。

そうやって色んなものに結ばれながら、愛しながら僕らは生きていくのである。