「かけがえのない」ということ
「かけがえのない」なんて皆は言うけれど、それはどこにあるんだろう。
「命はかけがえのないものです。地球よりも重いのです。」
小学校の道徳の教科書ではハートマークと地球が天秤にかけられていて、ハートマークに傾いている。
毎日のように誰かが殺められ、どこか遠い紛争の起こっている国では何千、何万という人びとの死が「数字」としてニュースになっている。
またか、と思いながら小学校に通っていた。
こんなんじゃ地球が何個あっても足りないや。
* * *
「かけがえのない」ということはどんなことなんだろう。
それは教科書や上っ面だけの言葉なんかじゃないところにある。
それは思考を宙に浮かしたときに、ある大切な人やものがふつふつと存在感とともに湧いてきて僕たちを捉えて離さないような、そんなことなんじゃないだろうか。
そんなことを僕はドレスシャツのためのカフスを買うか迷いながら考えていた。
* * *
まだ寒い風が吹く中、彼女との関係が深まってきた頃だった。
初めて二人で行くことにした旅行のチケットを駅まで買いに行って、帰り道は少し長いけど歩こうということになった。
ちょうどその道の途中「全商品300HUF」のくたびれた古着屋があって、安いし見てみようかと入った。
一か月後に控える彼女の修学パーティーのためのドレスシャツも見つかるといいかもねといいながら、二人で何枚かシャツを選んだ。
一緒に見てあげると彼女が言うので試着室に入った。二人だけの空間でそっとキスをした。
「これいいね。これもいい。安いし買っちゃおうかな。」
こうして結局3枚ほどシャツを買った。
時は流れ、パーティーまで数日となったとき、僕は少し寂しかったのと酔っぱらったのせいで彼女に嫌な思いをさせてしまった。
後悔と罪悪感で翌日は最悪な気分だった。
せめて謝りたくて、彼女の顔を見たかった。二人は会うことにして、気まずい雰囲気のまま大学内にある植物園を散歩しながら話した。
彼女は泣いていたし、僕も泣いた。
僕は謝るしかなくて、自分の弱い部分も正直に話した。
話が一段落するとルームメイトが作り置いてくれていたスシを一緒に食べた。
その後、一緒に古着屋で買ったシャツを彼女がゆっくりと丁寧にアイロンをかけてくれた。
しかし、このシャツはダブルカフスシャツと言われるタイプのもので、新たにカフスを買わなければならなかった。
散々探し回ったあげく見つけたのは4990HUFのカフス。
シャツが中古で300HUFで、新品のシャツでも2500HUFくらいから買えるというのにカフスを買うのか。
迷いに迷って、店の中をうろうろしながら考えた。
しかし僕は結局カフスを買うことにした。
他にも色々理由はあったのだけど、一番はやはりそのシャツを着たかったからなんだと思う。
そのシャツは他のどんな新品のシャツとも比べることはできない、ということが僕の中に無意識と意識を行き来しながら湧き上がってきたのだろう。
僕はあとになって気がついたのだけど、きっとそういうことなんだろうと思った。
その意味でそのシャツは「かけがえのない」ものなのである。
* * *
日本にまだいるとき、毎週日曜の夜8時からやるラジオを聴くのが好きだった。
DJのゆったりとした語り口としっとりとした音楽、少し格好つけたリスナーからの投稿が好きで毎週聴いて、スマホの機能で録音もしていた。
海外に来てからも特に繰り返して聴いている回がある。
それはブライアン・イーノの特集の回なのだけど、最後の一曲だけ陽気な、だけどちょっとだけ寂しい「ボラレ」が流れた。
それはリスナーからのリクエストで、そのリスナーは母を病院で看取ろうとしている人だった。そして「ボラレ」はその母がレコードで聴いていたというものだった。その人の投稿にはこうあった。
いつもは彼女を車で駅に送る間に聴いて楽しんでいます。でも、今日は病院の中にラジオを持ち込み、もうすぐあっちの世界に旅立とうとしている母ちゃんと聴いています。ここ一週間ほど仕事の後は病院、昨日は泊り覚悟で夜中まで。
何となく分かってきたのは1というものの中に沢山の事柄や、数え切れない思い出が詰まっているので、単にもうすぐ千葉県の片隅で名もない80の婆さんが旅立つことも「一人で亡くなるなんて大したことない」なんて言えるのか。そういうことなんです。…*1
自分の家族や親しい友人は確かに「かけがえのない」ものである。
そんなこと誰だって「知っている」。
でも、どれだけの人がそれを教科書のような言葉ではなく、自らの身をもって感じることが出来るのだろうか。
それは消灯された病院のベッドの隣で、仕事帰り恰好のままの疲れた心身の中にこそ湧き出てくるものなんじゃないだろうか。
「1というもののなかに沢山の事柄や、数え切れない思い出が詰まっている」
確かに1人の人間がこの世からいなくなることは数えられることである。その死は遠いどこかの国の死と「同じ」ことであり、どちらも「かけがえのない」命の1つである。
でも、その1というものの中に沢山の事柄が詰まっていて、折りたたまれていて、それはもはや同じ1つのことではない。
そういう意味でどんなこととも比較不可能、代替不可能なのである。
だから地球とも比べられない。どちらが大切かという問題ではなくて、単に比較の領域を通り抜けてしまっている。
彼女と買ったシャツも、どの新品のシャツとも比べられないし、どんなものとも比べられない。本当にここに書ききれないほどの沢山の事柄が詰まっているからだ。
「母ちゃん」も「二人で買ったシャツ」も「かけがえのない」。
「かけがえのない」こと。
僕たちの中にふつふつと湧き上がってきて、僕たちを捉え、そして寄り添ってくれるようなそんな比較不可能、代替不可能なもの。
そんなものたちはきっと僕らの長い人生の中にほんのいくつかだけあるのだと思う。