誰にでもなれる旅、誰にもなれない旅

旅をする。
君は旅に出れば誰にでもなれる。日常の君を知る人はここにはいない。見慣れた景色もここにはなくて、あの嫌な思い出も思い出さなくてすむ。遠くから来た人としてスターになれる。そうだ君は自由だ。何をしたっていい。
君は旅の中で誰にもなれない。そこで君は色んな人と話をするかもしれない。でも、それは旅人であることが関係の前提になっている。旅人は知らない人。どこかから来てどこかへ去っていく人。
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日差しが強くなる季節になると人々は旅を始める。いつもよりも色彩の強い服を着て。シャツのボタンをいつもより1つ多く開けて。
大きな教会の前にある石畳の敷かれた広場に面する赤いゼラニウムに囲まれたテラス席へとウェイターが忙しそうにビールと白ワインを運ぶ。
酒に酔った男達は大声をあげる。僕は薄手のジャンパーのファスナーを上まで閉めて横を通り過ぎる。写真を撮るたびに立ち止まる前の人を避けながら思う。
「俺はなぜ旅をしているのだろう。」
歩き疲れてバンクベッドの詰め込まれたホステルに帰る。退屈になるまでスマホを見てからイヤホンを耳につけて少し横になると、浅い眠りが流れ込んでくる。数時間が経ったのだろうか、喉が渇いてぼやけた頭が起き上がる。確かに夢を見ていた気がするけど内容は思い出せない。そして思い出すほどの興味もない。
同じ部屋にいる中年の男性が声を掛けてくる。
「どこから来たんだ?この街は気に入ったか?」
「日本だよ。綺麗だし好きだね。」
僕は愛想の良い表情を作りながら決まりきった受け答えをする。会話はそこで終わった。
気だるさが残る足を引き摺りながら街へ再び出る。あて先も決めてなくて何となく人の歩いていく方向へと従って足を進める。
観光の中心から少し外れた所にある少し寂れたカフェに入る。店員の若い女の子が笑顔で接客してくれて、今日初めて人と話した気がした。
路上に置かれたテーブルへとコーヒーを運ぶと煙草に火をつける。煙草は旅の唯一の友人だ。ポケットにはいつも煙草とライターが入っている。
でも、昨日は少し吸いすぎたせいか深夜バスで気分が悪くなり腹も壊した。今日は控えておこう。こうしてまた僕は1人になった。
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人はなぜ旅をするのだろう。気だるい体と頭を引き摺りながら。
誰にでもなれて、誰にもなれない。そんな孤独な旅。なぜ人は旅をするのだろうか。