一月

一月を振り返ると、卒論の追い込みと、大学院のための研究計画にかかりっきりだった。

まあ、適当には飲んでいたり、休憩をはさみはしたのだけど。

普段から文章を書くこと自体は嫌いではなく、自分の感情が文章に乗ればとても良い気分がする。誰かからの反応があればなおよい。

 

ただ、卒論と研究計画はまた別の話だ。

研究として先行研究を読み続けて、辞書を引いたり、メモを取ったりして、食らいついていく。

理解できないことや、自分がやろうとしていることに合うものがなかったり、あるいはありすぎたりして何時間も読み込む。

イデアをどうにかして無意識の力も借りながらまとめていき、枠組みを作る。

そのようにしてこねくり回し、手垢の付いた異物を粘土のように貼り付け、一つの不格好な塊を作っていく。

言葉は自分の手を離れ、思考は分裂する。

手は止まり、頭は焦燥しきっている。

また日をまたいでしまった。

そんなことをしていると、まるで自分の楽しいと思っていたことや、熱をもっていたことが本当なのか分からなくなってくる。

そして、自分が口先だけの人間であることや、能力のない人間であるような気がしてくる。

「そうだ、お前はその程度の人間だ。」と自分の中の誰かがいう。

 

卒論と研究計画はとりあえず終わったが(研究計画はまだまだ手入れが必要だけども)、なんだか自分が好きだった学問を続けていくほどの熱望は少なくなってしまったかもしれない。

しばらくしたら、また楽しくなってくるのかもしれないのだけど。

 

自分の手から離れてしまった言葉を取り戻し、自分の楽しんでいた学びを再び得られるようにしなければ。

ひょっとしたら、こういうことの繰り返しなのかもしれないね。