気分は初夏の風のように

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家のリビングルームから見える小さな庭は、新緑が強くなりつつある太陽光を透過することによって生まれる、柔らかな影に満ちている。

影たちは穏やかな風に靡き、つがいのアゲハチョウが何処かから舞ってきては、何処かに去っていく。

お気に入りの黄色い自転車で、目的地も決めずにサイクリングに出た。

地元というのは恐ろしいもので、何も考えなくても、自分が思いついた方向に行くことが出来る。

梅の花が綺麗だった一角は宅地になった。変わった家屋、変わらない町工場。

青空には近くにある自衛隊の軍用機が音を立てて飛んでいる。

久しぶりに見る地元の景色で、微かな思い出―それはほろ苦かったりもする―を頭に浮かべては、少し足を速めて、自転車を漕いだ。

歩行者信号が点滅し始めた時に横断歩道を渡ったら、右折待ちをしていたトラックの運転手に何か甲高く怒鳴られた。

気持ちは揺れ、うつむきながら帰路につく。

進んでいくうちに風が強くなってきた。

気分は少し回復していて、僕は汚くも綺麗でもない川の橋を渡る。

突然、僕の中で「生活」が現前し、人間の、そして自分の生というものが生々しく感じられた。

その一瞬を過ぎるとまた、僕はいつも僕に戻る。

自分の家はそこにあり、リビングルームには電気が灯っている。

 

***

 

夜10時には両親はそれぞれの部屋に行って眠り始める。

僕はリビングルームにあるソファに腰を下ろしながらスマートフォンでタイムラインに表示されるニュースや、研究者のつぶやきや、アートや、猫の可愛い動画を見たりする。

目が疲れたりすると自分の部屋に戻り、ベッドに横になる。

左向きになれば、すぐに眠れることを僕は分かっていて、気が付かない間に眠りに落ちている。

最近、朝4時ごろに目が覚めることが多くなった。

カーテンの向こう側では朝が始まりかけているが、僕はただ横になったままだ。

孤独を感じ、邪悪な感情が自分を支配する。

貴方が恋しくなって、送っておいたメッセージへの返信があるかどうかをチェックする。向こうではまだ夜の9時だから、何かを送ってみる。

メッセージの右下にあるチェックマークが一つ付けば送信が出来たこと、二つ付けば向こうに届いたこと、それが青色に変われば相手が読んだことを意味する。

送ってすぐに青色に変わったことを確認すると僕はほっとする。

2、3通のメッセージをやり取りしていると目が疲れてくるのでまた眠る。

メッセージがないときは少し狼狽える。

ときどき不安になる。

誰かを信じられないことは、自分が信じられないからだろうか。

誰かを信じられないことは、絶対的な存在としての神を信じられないからだろうか。

気分は初夏の風のように変わる。

また朝が来て、一杯の水を飲み、生活が始まる。