ブダペストのチャイニーズ・ショップ

朝から二日酔いの終わりかけのような頭痛が治らなかった。

 

その前日には、はるばる日本から来てくれた兄夫婦と兄の奥さんの母と一緒だったウィーン、ブラティスラバ、ブダペスト中欧三都市をたどる旅行も終わりを告げ、ブダペスト東駅で見送ったばかりだった。

彼らの電車を見届けた後、そのまま大きな荷物を持って、話をつけていたブダペストの東側にある三階建ての家の屋根裏の一室に引っ越しをした。

持っていた荷物は、ウィーンでの3か月のために持っていた大きなスーツケースといつも使っているバックパック、そして日本からのお土産が入ったままもらったトートバッグだった。

地下鉄とバスを乗り継いで、さらにそこから8分ほど歩いて、少しだけ迷いながらもたどり着いて、ベルを鳴らすと、すぐに大家さんが出てきてくれて鍵を開け、部屋を案内してくれた。

「じゃあ、また困ったら何でも声をかけてね」と優しく笑うと大家さんは下の階の自らの家に戻り、僕はだだっ広い部屋に一人残された。

ベッドに横になっても何だか落ち着かず、慣れない手つきで鍋で湯を沸かしてお茶を淹れたり、荷解きをしたり、歩いてスーパーマーケットに行ってパンとサラミ、サラダ、オリーブオイルを買ったりした。

夜、早めに一人にしては大きなベッドに横になると、いつもとは違って夢も見ずに寝た。

朝になるとベッドのすぐ上の天窓から日が射してきて、目覚ましよりも早く起きた。

目が覚めて、自分の今いる場所を理解するまでに、思っていたほど時間はかからなかった。

とにかくここ2、3年は留学や学部の卒業、キャンパスの移動などで居所を変えることが多かったからでもあるのだろう。前日までの旅行で寝る場所が毎日のように変わっていたからでもあるかもしれない。しかし、それはむしろ、どちらかと言えば、自分の寝る場所に関する一種の諦めのような、すなわち何処に寝ていようと特に構わないというような、そんな気分だったように思える。

もちろんこの部屋で少なくとも9か月は生活をし、5月からは彼女と一緒に住むという比較的安定した生活への希望やちょっとした不安が含まれていたことは否めないが。

 

とにかく、その日は疲れが溜まっていたこともあるだろう、風邪を引きはじめたらしく、頭の中にホルマリン漬けにされた軽石があるかのように頭痛がした。

軽く朝食をとったあと、ベッドで休み、つまらないSNSを見ながらもう一度寝た。起き上がって少し頭痛が引いたことを感じると、簡単に昼食を済ませてから街に出た。

新年を迎えてSNSでは各々の雑煮の写真が上がっていたこともあって、自分の中での何となくの区切りと、ただ単純に久しぶりに食べたくなったこともあって、ブダペストで雑煮のための餅を探してみようという気になったのだ。

 

ブダペストの第八区、西駅と東駅挟まれた大きな墓地と、人口比率的に多くのジプシー(ロマ)と中国系移民を抱える地域の中心、Rákóczi広場に佇む市場の一角に、ブダペストで一番大きなチャイニーズ・ショップ(Ázsiai Bolt、アジア商店)はある。

魚醤やチリソース、乾物から様々な麺、自家製の豆腐などの生鮮食品、冷凍食品、お香や茶器までの幅広いものが所狭しと並べられている。

客はアジア系や中東系の他にハンガリー系の人も混じっている。

おつかいを頼まれたような子供の姿もあった。

レジにいる、おそらく中国系の店員は慣れたようにハンガリー語で金額をいう。

僕はカゴをもって店内を見まわした。日本製の醤油が1Lで2000HUFほどしたので小さめの中国産の醤油(300HUF)を手に取った。そのあともイギリスで袋詰めされてたカレーパウダーや、おそらくベトナム製の春雨のような麺をカゴに入れた。

目的としていた餅は甘いものしかなかったため、ベトナム製のグルテンの多い米粉、日本でいうところの白玉粉、を一応買った。

レジで会計をすると中国系の若い女性が早口で中国語らしき言葉を言ったので僕が「Sorry?」と聞くと、だるそうにそこに置いてあった電卓で「1800」と押したので5000HUFを払って、無言でお釣りを受け取り、店を出た。

 

帰りの地下鉄で色々なことを考えていた。まだ頭痛の収まらない頭で。

やけに整えられた地下鉄4番線の駅と古ぼけた市場の一角のチャイニーズ・ショップ。物にあふれた店内と店主の家族らしき人。中国や日本、ベトナム、マレーシアその他の食材。不自然な日本語の書かれた中国製の食品。冷凍された1200HUFの納豆。手作りの豆腐ともやしのパック。どこからか集まる色々な見かけの人びと。中国語と不器用なハンガリー語を話す店員。

この裕福とはいえない東欧の国で、生きていく人たち。どこか遠くから連れてこられた物たち。

どうにかして僕らはこの地で生きることを決めて、あるいは決められて、生きようとしている。

それは自分の慣れ親しんだ場所を離れることの希望かもしれないし、ここにいるしかないという諦めかもしれない。

属性は大まかに吸収されて、捨象され、抽象される。それを分かるか分からないか、あるいはどうでもいいのか、そのまま供給し、消費する人たち。

とにかく僕たちはそんな雑踏のなかに生きているし、生きざるを得ないのだ。

古いレンガ造りの市場の建物はきっと200年前からそうにしているようにして、大きく、しかし同時に小さく佇んでいた。