帰れぬ人びと

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日本からヨーロッパに向けて旅立つとき、それは七月の終わり頃、まだ蒸し暑さもない、さわやかな夏の初めだった。

文学好きの大学の友人が餞別として本を送るということだったが、結局出発までには間に合わず、さらに数か月が経って、僕がウィーンにいるときに住んでいるアパートまでわざわざ日本から送ってくれた。

二冊の本と、ささやかな贈り物が小さな小包には入っていた。その本の一冊が鷺沢萠の小説『帰れぬ人びと』だった。

ウィーンにいるときから、つい最近まで小説を読む余裕が無く、いつも持ち歩くバックパックのポケットに入れたままだった。ブダペストに戻ってからしばらくした三月中旬、コロナウイルスによる大学キャンパスの閉鎖、学生の負担軽減のための課題の削減があって時間が出来たこと、外出禁止令で外に出られないこともあって、この薄い短編集を読み始めた。

なによりも、その題名がとても自分の状況に合っているような気がしたのだ。

 

帰れぬ人びと

 

キャンパスが閉鎖され、授業がオンラインに切り替わると同時に、沢山のクラスメートたちが知らないうちに、それぞれの国に帰っていった。パートナーのいる国に行った人もいる。次々と色んな地域で感染が広がり、国境が封鎖され、外出が出来なくなった。徒歩で三〇分くらいで行ける場所にある寮に住んでいるクラスメート達にも会えなくなり、クラスのグループチャットには入り乱れた情報、不安、そして別れの挨拶とそれへの応答のemojiが並んでいた。

僕は大学から毎日来るアップデートのメール、気づけば80件も未読メッセージが溜まるグループチャットすらも確認することが面倒になって、パートナーとたわいもない会話をしたり、料理を作ったりして気を紛らわせた。そして、ひと一人が立つことしかできない小さなベランダで手巻きの煙草をゆっくりと吸った。

 

僕がアパートを借りて住んでいるのはブダペストの少し東側、リスト・フェレンツ空港までもそこまで遠くないところだ。いつもはよく飛行機が上を飛んでいる。

冬時間も終わる頃の三月のある日の夕方、エジプト出身でドバイに家族と住んでいるクラスメートがグループチャットで急なお別れの挨拶をしていた。その夜は寮でお別れ会をするらしい。僕は歩いて参加しに行こうかと思ったけど、やっぱりやめた。

夕食をとった後、春の初めの生暖かい風にのって煙草を吸う。まだそこまで遅くない時間でも空には星が出ている。ベランダの上を飛ぶ飛行機の数も減ったように思う。

そんなとき、割と低い位置で、たった今空港から離陸したばかりの飛行機が、両翼のライトを交互に点滅させながら加速し、飛び立っていった。

僕は、その飛行機が、まるでここから足早に立ち去ろうとしているように思えた。それに乗る人たちは最後のチャンスを掴むようにして、飛行機の中で座席についているのだろう。恋人に会いに行く人、家族に会いに行く人、家に帰る人…。

僕は煙草と吸いながら、自分が取り残されたような気がした。

 

「おれには帰る場所なんてない」

 

日本に帰ったところで、大学時代住んで拠点としていた街にはアパートはとうの昔に引き払っているし、実家に帰ったところで近くに友人も多くはいない。大体、今の生活を急にやめて、パートナーをここに置いて、何になるというのか。

日本を発つとき、しばらくは戻ってこないことを当たり前のようにして思っていた。そこは帰る場所ではない。

だからといって、何年住むかもわからないこのブダペストのアパートも帰る場所ではない。

 

* * *

 

この鷺沢萌の短編集の中にはいつも帰る場所がない人たちが登場する。

社会の中で出自の不安定な人。家を失った人、奪われた人。早くに親を亡くした人、離別した人。逃げるようにして引っ越しを続ける人…。

東京の、中心ではない場所にある埃っぽい街の歴史と風景、そこに住む人たちの小さな物語。

聞きなれない地名を表す錆びついた看板、混み入った路地、用水路と町工場のにおい。そこに漂う愛おしさと儚さ。胸が苦しくなるような哀愁。

そうだ、僕らだって、帰る場所なんてないんだ。

 

* * *

 

題名にもなっている短編『帰れぬ人びと』には「大鳥居」という地名が出てくる。

僕はこの地名に何となく記憶があって、それがいつだったのか思い出そうとした。

しばらくして、ようやく思い出した。それは僕が、地元に住む友人とインドで落ち合ってからする旅に出るために、翌日の羽田空港発の早朝便に間に合うようにと、当時付き合っていた彼女と泊まった場所の近くだった。

当時付き合っていた彼女は、その一週間くらい後から一年ほど海外に行く予定があったため、僕の旅行について良く思っていなかったが、見送りに来てくれるということだった。

羽田空港までのシャトルバスがあったこともあって、大鳥居の近くのホテルに泊まることにした。小さな駅を降りると人通りの多い商店街や古ぼけた中華料理屋があった。まるで数十年前の東京に来てしまったような落ち着かない気持ちで小さな居酒屋に入って夕食を取り、ホテルの小さい部屋に入ったのだった。

その夜、彼女は子どものように泣いて、僕はなかなか寝れなかった。

早朝に起きて、寝ぼけた頭のまま僕は韓国で乗り換え、インドに向かったのだった。

 

今思い出しても、大鳥居の周辺の街は何だか夢だったんじゃないか、というような気がする。

そして、その街の風景は、僕の頭の中で急に、小さい頃に見た、実家の最寄り駅の旧駅舎のトタンの錆び、でこぼこなアスファルトに伝わる振動、走り抜ける電車の騒音の記憶の欠片がオーバーラップして響き合うのだ。

改修されてコンクリート造りとなった今の駅舎からは取り戻せない風景と記憶。

昔の彼女との関係、記憶。

取り戻したいわけでもなければ、懐かしむわけでもない。

ただ、そのどうしようもない断片たちが曖昧なまま存在をなくしつつあることに少しの恐れと諦め、そして希望がある。

帰る場所のない、記憶のかけら。

 

* * *

 

帰る場所がある人をうらやむ気持ちがある一方で、一つの場所に帰属することも僕は信じていない。

それは鷺沢萌の物語に出てくる人びとのように、ある種の熱っぽさと老いを同時に抱えることでもある。

旅を続けることにおける、何らかの夢と逃避の裏表だ。

どこでも生きていける楽観と、帰る場所がない寂しさだ。

 

「おれには帰る家がない。故郷がない。国がない。世界がない。はじめっからなかったんだ そんなものは…。」寺山修司

 

帰れぬ人びと (講談社文芸文庫)

帰れぬ人びと (講談社文芸文庫)

  • 作者:鷺沢 萠
  • 発売日: 2018/06/10
  • メディア: 文庫