僕らは空を見上げるために生きている
朝5時くらいに目が覚めた、少し隙間を開けておいた窓から流れ込む冷たい風と、多分それにともなった悪い夢のせいだ。硬直した身体の向きををやっとの思いで変える。
起き上がって、ゆっくりとフィルターコーヒーを淹れて、目玉焼きを作って食べた。
外は晴れていたが、一日中風が強かった。
少し自転車で走ろうかと思ったが、風が強いとどうしても自転車を漕ぐ気になれない。
ソファに腰を掛けて、Honey Boyという映画を見た。子役として有名になった俳優の青年が、付きまとう父親へのコンプレックスを少しずつ受け入れていく話。
その後は、The MicrophonesのPhil Elverumに関する記事を読んで、彼の呟くような音楽を少しだけ大きめの音量で聴く。
ベランダから身を乗り出して、煙草を吸っていると、目の前の隣人の庭で猫が走った。
相変わらず風が強くて、空は青い。秋の気配が風に乗って流れてくる。空で雲が遊んでいる。
もう一つ映画を見ていたら、眠くなって、ベッドに横になって、2時間ほど寝た。何かよく分からない夢を見た気がする。
喉の渇きと、身体のだるさをまといながら起きて、コップの水を飲む。
空はすっかり薄暗く、オレンジとブルーの間の色を部屋に満たしている。
もう一度コーヒーを淹れて、煙草を吸う。
一日中部屋から出ていないので、不要不急の買い物を理由に少し遠いスーパーマーケットまで歩くことにした。
大きな雲が夕日で赤く染まっていた。写真を撮ろうと思ったけどなんとなくやめた。
途中、ベンチで酒を飲んでいるお兄さんに何か声を掛けられたが面倒くさかったので無視した。
スーパーマーケットでは、割引になっているものや何となく目に付いたものを買った。
家路に着くころにはすっかり暗くなっていた。
空は星が出てきている。
風の強い日はずっと部屋にいたっていい。でもきっと僕らは空を見上げるために生きている。
Life goes on, CRUELLY!
家にいる時間が長くて、特にやることもない。
パソコンやスマホの画面を見続けることにも飽きた。
酒を飲む機会が増えて、煙草の本数も増えて、胃の調子がおかしい。煙草を吸った後に、軽い吐き気がある。
街は、通常のように戻っているが、自分の生活は3月のロックダウンからあまり変わっていない。
むしろ、はじめの頃は新しいことを始めたり、意識的に運動をして、生活に張り合いを持っていた。
今はすっかり、退屈な日々に疑問すら持たなくなっている。アプリで無料で読める分だけ漫画を毎日読む。特に面白くもないのだけど、
一緒に住んでいるパートナーの小さいことにイライラしたり、悪いところばかりが目に付くようになってしまう。
今日読んだ記事で、ロックダウン中に自身と向き合わざるを得なくなったと書いてあって、今の状況は自分は自身と向き合っているものなのかもしれないと思いつつ、自身から逃げているだけのような気もしている。
自分は何でここに来たのだっけ、ここで何をしているのだっけ、と取り留めのない考えが頭をよぎっては、通り過ぎていく。深く考えるほどの体力がない。
10月から日本に帰る予定を立てているが、日本で何が出来るのかもあまり分からない。
でも、多分、仮に何もできなくても、一度帰ったほうがいいような気がしている。
友達が作ったストップモーションの動画で、常に不安を抱え続けることがNew Normal「新しい日常」となっているかもしれないと、語っていて、まさしくそうだと思った。
この漠然とした不安がいつまで続くのか、分からない。
それでも残酷に生活は続いていく。
Dreaming of You
一人で考える時間が長いと、なんだか昔に戻ったみたいだと思う。
ことがあるごとに何かを考えていた。
そのときを思い出すと、生ぬるい春の日射しを黄色い自転車で走ったことや、霧っぽい夜道をほろ酔いながら歩いた光景が浮かんでくる。
昔、気が狂ったようにリピートして聴いていた曲を久しぶりに聴くと、どこかが痛くなって、少し目が潤んでくる。
そのときに浮かぶ過去は、聴いていた時期の一点の光景と感情を瑞々しいというよりは、むしろ集積されていながらも細切れになって取りとめもないモーメントがふつふつと曖昧にわき上がってきては、意識がその光景の時期と感情を特定する前に過ぎ去ってしまう。
とりとめのない気持ちを、あなたの写真をスクロールすることによってどうにか暴れ出すことを抑えることが出来る。
その横顔をこのふわふわとした脳裏に一度でもうつせば、どこかで会えるだろうか。
Dreaming of You. 夜か朝かも分からない夢の中。
あれから
あれからずっと考えている。
料理を作っているときとか、皿を洗っているときとか、シャワーを浴びているときとか。
自分は悲しいんだろうか、涙は出かかって出ない。
一体何が悲しいのだろうか。
今まで誰かが亡くなったときに、それを電話で聞いたり、文面で見たりした瞬間に泣いたこと、悲しみがこみ上げてくるような感覚になったことはない。
そのときにするりと涙がこぼれる他人の様子を不思議そうな顔で、気まずいような気持ちで横目で見ていた。
自分はといえば、少し胸のどこかがくすぶって、重くなるような感覚だけが通り過ぎていく。
ある程度落ち着いた水面に、滴が落とされて、波紋をゆっくりと広げている。
誰かと何らかの形で共有した時に、自分自身の言葉や考え方が、投げかけられた言葉や表情に揺らされて、波のように少し泡立つ。半分くらい囲われた場所、港のような場所で、板に当たって跳ね返る。岸にある大小の石に波が当たって砕ける。反射した波は最初の波とぶつかって、大きな高さになる。水面は落ち着きと規則性をなくす。柔らかい波と激しい波が不定期に訪れる。その度に僕は狼狽する。
何が悲しいんだろう。
それは、その一つの存在がこの世界からなくなってしまったことなんだろうかと思う。
その存在に含まれた物質や時間や未来。
肉体と思い出とこれから。
それらがどうしようもなく消えてしまったこと。
感傷的になる自分と、それを良しとしない自分がいる。
良しとしないのは理性なのか、照れなのか、自分への罰なのか。
現実感がないだけなのか。
今日もそんなことが分からずに生きている。
祖父の死
祖父が亡くなった。
97歳の大往生だった。
ときどき身体の痛みを訴えながらも何度も回復し、自炊して食べるほど健康だった。2週間ほど前に腰が痛くて自宅で横になっているという話だったが、両親が会いに行き、食事を用意すると十分に食べ、少し体調もよくなったと聞いていた。
僕がハンガリーにいることで、スマホもパソコンも持っていない祖父とは話すことはここ一年くらいできなかった。
去年の初夏、日本を出る前に会いに行って、一緒に温泉に入った。僕は祖父の手を取りながら、湯に浸かった。祖父は自分の足が細くなったことを、骨と皮になりつつあると達観したように話した。
その最後の時に、元気でな、と笑顔で送り出してくれた。僕は、また夏ごろに帰ってくるから元気でね、と言ったが、祖父は相づちを打ちながらも、自分はいつ死ぬかも分からないから、とあまり気にしていないように思えた。
先日両親が会いに行った時に、母は自分のスマホで代わりに電話をかけてくれたが、こちらはまだ朝早く、また僕のスマホの充電が切れていてならなかったので、かけ直した時には両親は自分たちの家に帰る途中だったので話すことはできなかった。
コロナウイルスの影響もあって、夏には帰れなそうだが、冬に調査を兼ねて帰国するという話を伝えたところ、もう少し頑張ってみようと言っていたらしい。
昨日の夜、夜中に目が覚めて、2、3時間眠れなかった。朝遅く起きてスマホを確認したら、祖父が亡くなったと母から連絡が入っていた。
実家から遠い東京のほうに住んでいる兄夫婦にも、状況が状況だから、まだ別れを告げに行かなくてもいいと、言っているという。
僕は日本を出るときに、自分が遠いうちに祖父が亡くなることを危惧していた。しかし、だからといって自分の新たな生活のために、ここに来ることにも祖父は賛成してたと思う。
でも、その危惧が現実になってしまった。スマホのアプリの文面ではあまり現実感がないのだけど。
それでも、やはり亡くなってしまったんだろうなとは思う。
父母ともにそれぞれの実家から遠い場所に住んでいて(母の実家は沖縄で、父のは和歌山で、彼らは名古屋の近くに住んでいる)、僕は小さい頃から親戚の死というのは、とても遠く、すぐには訪ねられない場所で起こり、電話で知った。
だから、遠いことには変わりはない。でも、一日かかっても訪れられないほど遠くは無かった。
自分がここに住み続けたら、これから親しい人が遠くで亡くなってしまうのかと思うと、憂鬱になる。どうしようもない気持ち。そんな哀しみを背負いながらも生きていかないといけないんだろう。
祖父は、自分が幼い頃から年数回会いに行くと、喜んでくれて、幼い自分にとっては大きすぎるような額のお小遣いをくれた。祖父は年金暮らしで、お金もあまりいらないから、子供や孫に渡したいと言っていた。
80代後半のころまで畑では野菜の世話をしていて、僕ら孫が訪ねると、一番楽しい収穫をやらせてくれた。一緒に庭の世話をしたこともよくあった。祖父はとにかく畑が好きで、祖父の家で朝起きると、日が明けた頃から祖父は草抜きをしていた。日が昇った頃には休憩で、砂糖とミルクのたっぷり入ったアイスコーヒーを差し入れた。
国鉄に勤めていた祖父は若い頃、戦争で当時の満州まで行って鉄道敷設と戦闘をして、爆撃を近くで体験して、仲間を失いながらも生きて帰ってきた。多くを語らなかったが、戦後70年以上経っても、当時の場景をときどき夢に見てうなされると言っていた。
長年連れ添った祖母が亡くなったとき、涙を流しながら、赤十字の活動への支援とキリスト教的なものへの親しみを持っていた祖母をマリア様のようだったと語っていた。家には祖母が亡くなった後にも、擦りガラスに赤いビニールテープで貼られた十字が残っていた。
祖父は勉強家で、詩吟を習い、中国の古典を辞書を引きながら読んでいた。仏教への関心も強く、自分で覚えた念仏を唱えていた。晩年、彼が安らかなように生活を送れたのは、仏教への強い親しみからなのかと思う。
身の回りの整理をするように、僕らが訪ねる度に自分の本はいらないかと、配っていた。僕の実家の本棚にもそうして貰った本がいくつか置いてある。
たまに冗談のように祖父は「朝起きたらそのまま死んでいたら幸せだ」というようなことを口にしていた。それは悲しみというよりも達観したような言葉だった。
彼の最期は彼の願いのようなものだったのだろうか。
僕はどんなふうに生きていけばいいんだろうか。
すぐには答えは出せなさそうだけど、今は遠い空から祈るしかない。
R.I.P. 安らかにお休みください。
曇りの春空
早朝から雨がベッドの真上にある天窓を叩いていることを気にしながら、半分眠りにつきながら横たわっていた。
充電していたスマホが机の上でアラームを鳴らしていて、やれやれと思いながら立ち上がってアラームを止め、そのままSoundCloudを開いて、適当なミックスを流す。
朝食にターンオーバーを焼いたが、塩のかかり具合にムラがあって、部分的にしょっぱかったりした。
音楽をスマホからBluetoothヘッドフォンに繋ぎ直して、そのままコーヒーを飲みながらベランダで煙草を吸う。
雨は霧雨になっていて、湿度が高い。こんな時は煙草が空気の湿度と混じってまろやかになる。吐く息も白く、細かくなる。
Roth Bart Baronが「アルミニウムの空」と表現したような空。いや、それよりもちょっとだけ明るいかもしれない。
ベランダの目の前にある大きなマツの木の緑緑した葉に雫がついていて、生きていることの静かさを表しているような気がする。
不思議な世界
少し用事があったので、近くに住むクラスメートたちと駅で待ち合わせた。今日はことさら風が強かった。
彼女らは寮から2キロほど歩いてきたみたいで、約束していた時間通りには来なかった。
このターミナル駅では外出禁止令でそれでこそ人は減ったが、それなりに乗り降りする人がいる。日曜の午後なのに。
今日がハンガリーでの母の日だから、駅の出口や地下通路の殺伐とした空間に花を売る人たちがいる。ほとんどの人が見向きもせずに通り過ぎていく。外出禁止と花売りの女性。
その横ではだんまりと決め込んだ中年の男達がたむろしている。一人の女性が近づいていくと何やらみんなで話している。
逆側にも男達が集まっている。その男達の誰もがマスクすらしていない。ある男が陽気な声で、集まっている男たちに声を掛け、握手し、笑顔で抱擁している。これまではそこらじゅうで見たような光景が、酷く不自然に感じられ、僕は「命知らずだな」と思った。それがどういう意味なのか自分でも分からなかった。隣でN95のマスクをした女性が通り過ぎていく。
バス停ではホームレスらしき人がパーリンカかウォッカの小瓶が4ダースほど包まれた段ボールのパックを地面に置いている。破られた角の小瓶は無くなっている。彼が飲んだのだろうか。飲むならばなぜ割安なはずの大瓶を買わないのだろうか。分からない。
通りのおおい道で急に車が止まり、クラクションが鳴った。誰かを呼んでいてのだろうか。
クラスメートたち各々サングラスにマスクをつけていたり、何をつけていなかったり、サンダルにウエストを出したようなちぐはぐな格好だった。
「そっちの生活はどう?」と聞くと「何とか生きてるよ」と笑った。
一人が「ケバブ食べる?私たちこのために来たようなものだよ。ああ、最高。」とケバブを買う列に並んだので、僕も並んで塩気のあるヨーグルトのような飲み物のアイランと一緒にケバブ・トルティーヤを買った。
そのあと彼女らが路地販売されているイチゴを買うのを待ってから、ケバブを食べる場所のために少し歩いた。
「母の日おめでとう」と花売りが声を掛けてくる。僕らは目もくれず歩く。
「ここいいじゃん!」とちょうどよく腰を掛ける場所を見つけたので、皆で座った。
「消毒スプレー使う人いる?」とスプレーを回して、各々手に吹きかけてからケバブのアルミホイルをめくる。
食べ終わった頃、スズメが驚くほど近くまで近寄ってきて首をかしげる。落ちていたケバブの破片をついばむ。
「あら、かわいいね!」と皆夢中になってケバブの生地をちぎって放る。さらに沢山のスズメが近寄ってくる。一人が、先ほど買ったパンをバックから取り出して、ちぎって放る。他の人にも渡して、皆で放る。パンにスズメが群がっては、そのうちの一羽がくちばしで抱え、何処かへ持っていく。
「手の上でも食べるかな?」と言いながら手の上にパンを乗せたり、靴の上に乗せたりした。その様子を動画に撮ったりした。
「誰も餌をあげなくなったから、飢えてるのかもね」とパンを放った。
近くで急にサイレンのような警報音が鳴る。警察が来たのかと思ったけど、宅配ロッカーの扉が開きっぱなしだったからだった。そんなに大きなサイレンで知らせなくてもいいのに。
スズメに加えてハトも来た。皆飢えているのかもしれない。近くで見るとスズメもハトもそれぞれ個性がある身なりをしている。スズメに2パターンの柄があって、派手なほうがオスかな、などと話をした。
ふと周りを見回すと、迷彩服に赤いベレー帽で大型の銃を持った兵士が二人組を近づいてくるのが見えた。
慌てて「じゃあ、またいつかどこかでね」とその場を去る。
変に怪しまれないように、ゆっくりをその場から遠のく。
バスに乗ってアパートに戻る。
風に当たったせいか、酷く身体が疲れていた。ベッドで横になって、むさぼるようにしてスマホを見た。何も興味のあるものなんか無かったのだけれども。
なんだか、世界が急に不思議なものになってしまったような気がした。
当たり前だったことが不可思議に思えてくる。スズメもハトもそれまで人間の餌付けのエコロジーから外れてしまったようにして暮らしているのかもしれない。彼らは人間を覚えているのだろうか。この状況が続けば世界は一体どうなってしまうのだろう。二か月もまだ経っていないというのに。
帰り道、今まで聞いたことのないような声の鳥が鳴いていた。