あれから

あれからずっと考えている。

料理を作っているときとか、皿を洗っているときとか、シャワーを浴びているときとか。

自分は悲しいんだろうか、涙は出かかって出ない。

一体何が悲しいのだろうか。

今まで誰かが亡くなったときに、それを電話で聞いたり、文面で見たりした瞬間に泣いたこと、悲しみがこみ上げてくるような感覚になったことはない。

そのときにするりと涙がこぼれる他人の様子を不思議そうな顔で、気まずいような気持ちで横目で見ていた。

自分はといえば、少し胸のどこかがくすぶって、重くなるような感覚だけが通り過ぎていく。

ある程度落ち着いた水面に、滴が落とされて、波紋をゆっくりと広げている。

誰かと何らかの形で共有した時に、自分自身の言葉や考え方が、投げかけられた言葉や表情に揺らされて、波のように少し泡立つ。半分くらい囲われた場所、港のような場所で、板に当たって跳ね返る。岸にある大小の石に波が当たって砕ける。反射した波は最初の波とぶつかって、大きな高さになる。水面は落ち着きと規則性をなくす。柔らかい波と激しい波が不定期に訪れる。その度に僕は狼狽する。

 

何が悲しいんだろう。

それは、その一つの存在がこの世界からなくなってしまったことなんだろうかと思う。

その存在に含まれた物質や時間や未来。

肉体と思い出とこれから。

それらがどうしようもなく消えてしまったこと。

 

感傷的になる自分と、それを良しとしない自分がいる。

良しとしないのは理性なのか、照れなのか、自分への罰なのか。

現実感がないだけなのか。

今日もそんなことが分からずに生きている。