さよならをいうこと


Miss Misery by Elliott Smith [Lyrics] Good Will Hunting (ending song)

 

昨日の夜、仲良くしていたベルギーからの留学生JonathanのFarewell Partyがあった。

 

日本語にすれば「お別れ会」。

でもFarewellという単語にはそんな悲しさに満ちた印象はなく

辞書で調べても「ごきげんよう!、さらば!」と出てくるように

もっと明るいイメージがある。語感のせいもあるけど。

「フェアウェル」と口に出してみれば「さよなら」というよりも

前に進めそうな、またどこかで会えるような気がする。

 

井伏鱒二は千武陵の漢詩「歓酒」を意訳して(知恵袋情報)

「さよならだけが人生だ」

と言ったがこれはきっと真実であろう。

僕の敬愛する寺山修二はこれに

「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう」

と答えたがこれもきっと真実。

 

さよならだけが人生ならば、人生は悲しすぎるかもしれない。

だからまた会えるかもしれないと心のどこかで思って

「また来る春」を期待することもできる。

 

でもまた会えるかなんて分からない。

まあ別に、今の時代facebookで連絡して

飛行機に何時間か乗りさえすれば会えるのだけど。

それだからといって確信は持てないし

お互い色々あったりして「じゃあ会うか」とならないかもしれないし。

 

また会えるかもしれないと思うことは一つの希望というか

さよならという絶望からの唯一の救いではあるのだけど

それをただの可能性としてではなく執拗に胸に言い聞かせるのも

また嘘であるし欺瞞であると思う。

久しぶりに会った友達に「いつか飲みに行こうね」と

口約束するみたいだ。 

 

彼とは一緒に飲みに行ったりしたけど

昨日のパーティーで俺よりも仲良い友達に囲まれているのからもわかる通り

お互いにとって友達の一人でしかないのは分かっている。

それでも、留学初期に彼と知り合って飲みに行ったのは楽しかったし良い思い出。

彼がハロウィンパーティーの時に酔っぱらって

ビールをストローで吸い込み俺の顔にかけたのも面白かった。

 

そんな彼のFarewell Partyには俺も初めて会うような人たちが沢山来ていた。

多分60人くらいの友達が彼を惜しみながら酒を飲んで笑っていた。

彼は相変わらず酔っぱらっていたけどきっと嬉しかったに違いない。

 

でも、もし僕がどこかを去るとき

このようなFarewell Partyはちょっと違うかなと思う。

僕が2年半ほどバイトをしていた小さなバーのラストバイトの時

同じようなパーティーを開いて沢山の人が来てくれて

僕も自分を想ってくれる人がそんなにもいたことは嬉しかったのだけど

僕の思い描く「さよなら」はちょっと違う。

 

Eliott SmithのMiss Miseryがエンディングテーマだった映画Good Will Huntingのように

あるときにひっそりと「さよなら」をしたい。

 

ある朝、友達がいつものように彼の元を訪ねるとドアには鍵が閉まっていて

「あいつは行ったよ」と少し目を潤ませながら

そして少し笑いながら「さよなら」をしてほしい。

 

ちょっと寂しいけど「さよならをいわない」という「さよなら」。

「さよなら」の脆さと愛おしさを素手で触れないまま

そっと心に留めておくようなそんな優しさがある。

 

 

そうはいいながらも昨日は彼にがっつり「さよなら」を言ってきたのだけど

まあそれはそれで。

Anyway, Good-bye Jonathan! Good luck!

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