周回遅れのコミュニケーション

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英語で彼女と何気ない会話をする。

 

僕は元来、日本語でも何気ない会話というのが苦手である。

誰かの口から発せられた脈絡の薄い断片的な言葉というのは

常に不意に頬を叩かれるようなもので毎回はっとして少しオロオロしながらも、

それが知られないように隠して平気を装って答えるのだけども

相手を満足させる回答などめったにできない。

 

ましてやそこまで流暢ではない英語での何気ない会話なんてもってのほかだ。

その時は無理にでも言葉を発して表情を作って

どうにか相手に反応していることを示そうとする。

こっちは結構一生懸命にやっているのだけど

多分それでも不十分なことが多いだろうから時々微妙な顔をされる。

 

まあみんな結構優しいのか、僕の反応の薄さに慣れたのか

それでも会話は成り立っている。と思っている。

 

僕は彼女とそんな風にして断片的な話をしている。

相変わらず僕は良い言葉を返せない。

それでも楽しい時間を過ごすことはできる。と思っている。

 

彼女とさよならをして夜の道を一人歩いていると

あるいは部屋に戻ってベッドに寝転んでいると

「ああ、彼女が言ったことってこういう意味だったのかな」

「だから、こうやって返したほうが良かったんだろうか」

とあれこれ考えたりする。

そういう風にしていると自分が情けなく思えてきて

相手の期待を裏切ったのではないかと目を背けたくなる。

 

でも、どうにかして

あなたの言ったことに対して自分はこう思っている、

ということを伝えたいから次に会ったときに似たような話が出たら

考えていたことを話そうと思う。

 

でもその時の会話でまた新しくうまく返せないことがある。

そしてまた次の会話で話す。

 

まるで周回遅れのコミュニケーションだ。

 

* * * 

 

昔、スイミングの選手コースに所属して毎日のように通っていた。

トレーニングでは15分とか30分、同じコースの中を5人とかでとにかく泳ぎ続ける

というものがあって、そこまで僕も遅いほうではなかったので

周囲の人のペースについていくことができて

時々前の人の横を通って抜かすということもあった。

でも、やっぱり自分より速い人というのは必ずいて僕もよく抜かされた。

後ろから迫る影、足に触れる手。

僕は焦って抜かさせないように頑張ったけどやっぱりだめな時はだめで

横を抜けられた。

抜かされる時には絶望と少しの安堵で水の中に漂っていた。

 

抜かさせると「周回遅れ」になる。

一周分遅れているからだ。

 

抜かされた相手の姿を追いかける。

相手が疲れてきて近づく。

でも、それでも周回遅れだから相手よりも早いことにはならない。

相手よりも早くなるためには相手を抜かし返して

さらにもう一度相手に近づかなければならない。

これはいくら相手が疲れていても難儀だ。

だから僕はずっと周回遅れのままだった。

 

 

まるで周回遅れのコミュニケーションだ。

 

追いついたところで彼女は一周分先にいる。

僕は必死に足掻き、そして作り笑いをする。

 

いつまで経っても追いつけない。

そんな周回遅れのコミュニケーションを今日も繰り返す。