あの高い場所

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日が昇る少し前、あるいは日が落ちた少し後。

自分のいる地面より少し高い場所を日が照らすことがある。

自分には見えない太陽があそこからは見えるはず。

たった数メートルの違いで自分には届かない場所。そこには別の景色が広がっている。

きっとこんな少しだけの違いで自分の見えないことが色々あるのだろう。

自分の気がつかないところで。

目を向けなければそのことすらも気がつかない。

あの高い場所からは何が見えるんだろう。

同じ世界にいるはずなのに。

 

* * *

高校生の頃に山岳部の合宿で北アルプスの燕岳に登り、山頂でテントに泊まったことがある。

夜なんとなく目が覚めて皆が寝ている横、テントの外に出て見た星空はとても綺麗だった。

別のテントで寝ていて偶然同じタイミングで起きてきた友人と「すごいね」と少しだけ言葉を交わしたような気がする。

 

朝には皆で日の出を見ようということで、所どころ筋肉痛の体を引きずりながら起きて外に出た。

やはり他のグループも同じように日の出を見ようと山筋に並んでいた。

そのとき隣にいたのは山岳部の顧問で親しみを持っていた、すこし間の抜けたところがありながらも少年のように笑う先生で、日の出を心待ちにしている僕に対してこう教えてくれた。

「あの後ろに見えるのが槍ヶ岳だ。槍ヶ岳はここよりも高いから、その穂先が先にぽっと赤くなるんだ。」

地球が丸くて、太陽が高い場所から順に光をもたらす。そんな壮大な世界を思い描いた。

僕は目の前の太陽が昇るであろう場所と、背後の槍ヶ岳の穂先を交互に見ていた。

だけど、その先生が言ったようには穂先は照らされなかった。

きっと天候とか色んな条件があるんだろう。そう僕は自分に言い聞かせた。

でも僕はその美しい日の出だけでも十分に満足した。

 

時は経って、僕は地元からは遠い大学に通うようになって少し過ぎた頃、高校時代の友人と久しぶりに母校を訪ねた。

久しぶりに会う人と近況を報告したりしたけど、あの顧問だった先生はいなかった。

聞けば他の高校に転任になったという。

その高校は生徒の質の面であまり評判が良くなく、少し間の抜けた彼はうまくやっているのだろうか。

今となっては知る由もないのだけど、きっと新しい日常を歩んでいるのだろう。

 

* * *

たった少しの違いなのに異なるものが見える場所。

目を向けなければそんな場所があることすらも気が付かない。

そこからは何が見えるんだろう。

あの高い場所へ行きたい。

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