勉強をしていた日々
海外の大学院入試のための英語の試験を何度か受けてみたが、若干足りなかったりして今でもまだ対策を続けている。
二月後半は引っ越しとか、いろいろ用事があって、なかなか英語の勉強に専念することが出来なかったため、今追い込みをかけている。
もちろん少し毛色は違うのだけど、朝から晩まで同じように勉強をしていると、やはり受験の時を思い出す。
ちょうど5年ちょっと前、同じように、この実家の汚れた机の上に向かっていたな。
自分でもよくやったと思う。
センター試験の前2週間ほどは、高校を休んで、塾の自習室に籠って、朝から晩まで勉強をしていた。
今はできないような気がする。
今、英語の試験対策をやっていて、どうしても集中力が切れる。
まあ、ずっと英語だから仕方ないと言えば仕方ないかもしれないけど。
頭に入ってこない。
しばらくすると、別のことを考えたりする。
やる気がでない。
腰を上げるのが重い。
自分の出来なさを認めなければならないことがつらい。
受験の時は、競争心と自尊心を持っていたような。
塾の中では一番であって、自分が一番努力していることに自信があったような気がする。
あるいは、「全国」を相手に恐れ、虚勢を張っていたのかもしれないけど。
今は、とにかく、自分のペースでやらなければならないし、自分が出来ないことも自分で管理しなければならない。
例えば、高校までの「勉強」がいかに決められたことを早く、正確に解答するかということだったのに対して、まもなく卒業する大学からの「勉強」では、自分で課題を見つけて自分なりの方法で解決するということであるとよく言われる。
それならば、大学受験における勉強とは、その高校までの勉強の最高地点であり、そこから先は崖のように忘れ去られるものかもしれない。
僕は、そのようにして捨て去った「勉強」を、やれやれと拾ってきて、また四苦八苦している。
泥だんごの作り方は忘れてしまった。
しかし、勉強はやるしかなく、必要な点数を出すまで解放されない。
そんな日々をもう少しだけ続けなければ。