生活の絵の描き方

――君は自由だ、どこにでも行ける、何でも出来る、何者にもなれる。

僕は若くて、これまでずっとそう思っていた。
実際は自由というのは限られていて、いくつもの制約の中で僕らは「自由」をやっているわけではあるのだけど。
でも少なくともメンタリティとして、どこにでも行けるし、何でも出来る、何者にでもなれる、というものは持ち続けてきたような気がする。

留学に来たのも何となくそういう感覚の表れというか、改めて自分でそういうことを体現したかったのかもしない。

それがこの1ヶ月ほどで変わってきている。
自分の住む地域だとか、する仕事の選択肢とか、一緒に暮らす人とか家族だとか、いわゆるライフコースというものがじんわりと出来てきているのが分かる。

自分でも驚くのは、そのようなことが自分の内側から自然と湧いてきたことだ。
あの破天荒になりたかった俺はどこに行ったのだろうか。

だからといって「普通が一番」的な排水溝の垢みたいな思想になったわけではもちろん全くなくて。
悪魔に魂を売ったみたいに「普通」になったわけではなくて。

何となく生活というものの絵を自分で描けるようになったのかもしれない。

僕もあんまり若くないのからと言ってもみるけど、僕はまだ若いですよ。
それよりもまあ今一緒にいる人の影響が大きいのかもしれないな。

きっとそうやって知ってか知らずか、人は自分の生活の絵の描き方を得ていくのだろうな。っていうと大袈裟かもしれないけど。
そんな自分の話。
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