過去と飛行機雲
過去の記憶。
それは時に僕たちを楽しませ、時に僕たちを苦しめる。
「思い出はいつも美しい」と寺山修二は書いたが、そんなことはない。
美しいものも辛いものもある。
こんなに沢山の過去と記憶を背負い続けてこれからも生きていかなければならないのか。
人間の自己同一性が一生続くものであればそうだ。
だから僕は自己同一性を認めたくなかった。
自己は変わる。人間は変わる。
あの時の自分と今の自分は違う人間だから、その過去は自分の過去ではない。
そう思うことで過去を捨てようとした。
でも、全部捨てることもできないし、捨ててしまうには惜しい思い出もある。
だからといって逆に過去を美化することも醜いよ。
僕たちはそうやって逃れられない過去を後ろに残している。
でも、だからといって背負わなければいけない、消さなければいけない、というわけではないんじゃないか。
過去は僕らの軌跡としてそこに落ちている。
それは事実だしどうしようもない。
でも、ただそこにあるだけだ。
僕らはその前で進んでいる。
それはどこかに消えてしまったり、くっきりと残ったりする。
ただそれだけ。
空に描かれた飛行機雲の断片を見ながら
そんなことを考えていた。